2008年09月30日

人生を悟れるのはいつだろうか

昔々、バブルの頃。私は激務の合間をぬって銀座で合コンをしていた。(わおー)

男性陣はその頃所属していた、あるスポーツサークルの面々。これはいつものパターンである。しかしその日の女性陣の一人がひと味違った。

二次会でふと気がつくと、その女性と激論になっていた。一次会では全く話した記憶がないのに、なぜか夜更けの小洒落た飲み屋で、その女性と言い争いをしていたのだ。いろいろな意味で若気の至りと言う他はない。

何の話で激論になっていたのか?

正確なところは忘れたが、その女性は二十代前半にして「片親を無くし、もう一人の親の面倒を見ながら、会社をやめて家業を切り盛りしている」というような、壮絶な体験をしたというのである。それなので、彼女は「私はもう既に人生の苦労は全て分かっている。その上で言うが、あんたは甘い!」と私に言うのである。

こちらはカチンときて、「俺もそうだが、二十歳とちょっとで人生分かったようなことをいうんじゃない。そんなこと生きてみなきゃわかんねえじゃないか」と食ってかかったのである。(またしても若気の至り)

そのうちに電車がなくなってしまったのであるが、なにも色っぽい展開にはならず、タクシーが捕まるであろう時間まで、延々と言い争いを続けるはめになった。そして彼女が去ると、隣であきれていた先輩のアパートで二時間程過ごし、そのまま出勤したのであった。(若かったなあ)

いやいやそんな話はどうでも良いのであるが、今日ふとこの出来事を思い出して、その時の自分の言葉の正しさと、嘘くささを改めて思うのである。

やっぱり生きてみなきゃ、人生は分からないとは思う。でも、それからずいぶん生きたからといって、人生の何が分かったというのだろう。

人生を悟れるのはいつのことなのだろうか。
posted by 継之助 at 23:22| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ばいやーの独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月28日

中高生の読書事情

ここのところ、事情があって中学校・高校に出入りする機会があった。卒業してから母校にも、顔を出していないので、本当にウン十年ぶりにそういう所へ行って、懐かしい思いにとらわれた。

図書室の前に、生徒に読書を呼びかけるポスターが張ってある学校があるのだが、どこも本を「読ませる」のに苦労している様子だ。ある中高一貫校では、6年間で100冊読んで寸評を提出しよう、という運動をやっていた。一ヶ月で1〜2冊強読めば良い計算であるが、それすらも読まない生徒が多いということなのか。

別の学校で、生徒に本を「読ませる」工夫を訪ねてみると、「それが結構大変なんです。朝10分ぐらいの時間をとって、兎に角なんでも良いから読ませるようにしているのですが、それでは充分ではありません。かといって、感想文を書かせるようにすると、ますます読むのが苦痛になるので、とりあえず冊数の目標だけは与えているのですよ」とおっしゃる。

このブログを中高生が読んでいる可能性は殆どないが、それでも言っておきたい。確かに受験勉強が忙しいのはわかるが、本は読んだ方がよい。ジャンルはあまり関係ない。自分で読みたいと思うものだけを自由に選んで良いから、時間を見つけてたくさん読んだ方が良い。

学校へ行っている間は、先生や塾の言う通りでいいのかもしれないが、社会に出てからは、本が大きな情報源であり、それを使いこなす方法は今、身につけておくべきものなのだ。
posted by 継之助 at 09:06| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ばいやーの図書室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月09日

陰謀に参加するばいやー

某日、ある極秘プロジェクトが招集された。

極秘プロジェクトなので、本来こんなところに書く訳には行かないのだが、おもしろいので書いてしまう。

プロジェクトに集う面々の目的は、「あるプロジェクトを潰すこと」である。そしてそこに集う面々の共通点は、「潰そうとするプロジェクトの構成メンバー」であること。

会社という組織では、ときどきこのような面白いことが起きる。いやいや当事者が「起きる」なんて第三者的に書いてはいけない。正確には面白いことを起こしている、のである。

どうしてこんなことになってしまったのか?

それはプロジェクトのコアメンバーの当事者意識の欠如が原因である。プロジェクトの進捗管理、用件定義、外部との調整、メンバー間の情報共有、どれも足りない。そして何よりも、プロジェクトの所期の目的を達成しようという、確固たる意思が足りない。

どれだけ、我々メンバーが提言を繰り返してもコアメンバーには、全くそれを反映する能力がない。そんな状況を見て、ついにクーデターとも言うべきプロジェクトが動き出したのである。

そこでは、「どうしてこうなったのか」なんて話はでなかった。参加者皆の見解が完全に一致しているから。話題になったのは、クーデターの是非ですらなく、どうやったら効果的かという戦術面の詰めと、誰の首をはねて、誰と替えるかというターゲット設定。

いやいや実際、派閥争いなんて次元の話ではなく、仕事が停滞してしまうのを防ぐために、仕方なくやることなのだが、陰謀というのも時には面白い。
posted by 継之助 at 23:04| 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | ばいやーの独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月07日

忠誠心

第十六回購買ネットワーク会に参加してきた。

今回は拡大バージョンであったため、自己紹介や周りの方と話をする時間が確保できた。そればかりではなく、ケーススタディの時間もゆっくり取れたため、議論を深めることが可能だった。懇親会の場で他の参加者に評価を聞いてみたのだが、好評だったようだ。

この会を人脈を作る場として捉え、どれだけ参加者の方と知り合えるかというのを問題にしている方にとっては、特にそうであろう。

幹事としては準備のこともあるので、「それじゃ常に拡大版でやりましょう!」ということにはならないのであるが。

さて、記事タイトルの忠誠心についてだが、懇親会の場で話題になっていた。ある参加者の方が、「会社に対する忠誠心の源泉は、どれだけのことを会社が従業員に対してしてやることができたかである」とおっしゃっていた。

その方は転職をしたのであるが、転職前に所属していた会社に対しては、今でも忠誠心を持っているとのこと。それはその会社が給与・教育・職場環境などで、その方に充分な処遇をしたからであるのだそうだ。

それとは別に近々転職をすることになっている方とも話をしたのだが、その方も「転職活動をしてみて、つくづく今いる会社の良さが見えて来た」とおっしゃっていた。

翻って我が身に置き換えてみるとーー。なるほど私にはまだ転職する資格がないらしい。

ネガティブに過ぎるもんなあ。
posted by 継之助 at 22:12| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ばいやーの独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月04日

弔辞

あなたと出会ったのは何度目かの、ネットワーク会の場でした。年長者には失礼な言い方ですが、元気がいい方だなぁと思ったのを覚えています。ミュージシャンではない、とおっしゃっていましたが、私の第一印象は、無頼派ロッカーという感じでした。

転職したと聞いた時にも、その思い切りの良さが、痛快だった。そんなに歳の違わない私から見ても、魅力的な大人でした。

今にして思えば、死を意識して生きざるを得ない環境も、あなたに強さを与えていたのかもしれません。

一緒に本を、それも英語本を執筆したのは、楽しかったですよね。年齢も所属企業も超越してこんな無謀な試みが出来るなんて。

お見舞いにうかがって、身体が辛いはずのあなたがそれでも元気そうに話すのを見ていると、こちらの方が辛い気持になりました。

また一緒に二次会の餃子屋で焼酎を飲みたいなあ、なんて不謹慎なことを考えたりもしていました。でも、許してくれますよね。あなたもきっと同じ気持だったはずですから。

もう一緒にお酒を飲むことは、出来ないのですけれど、暗くならずに過ごして行こうと思います。

それに、もうちょっと本も売らなくちゃいけませんね。
posted by 継之助 at 06:49| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ばいやー日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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